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千葉地方裁判所 昭和56年(ワ)379号 判決 1987年3月18日

原告

布施宇一

右訴訟代理人弁護士

菅野泰

清井礼司

鈴木俊美

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

西迪雄

富田美栄子

右代理人

室伏仁

西沢忠芳

矢野邦彦

和田芳男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告と原告との間に期間の定めのない雇用関係が存在することを確認する。

2  被告は原告に対し昭和五六年一月から毎月二〇日限り金二〇万九四〇〇円とこれに対する訴状送達の日の翌日(但し本訴状送達の時に弁済期未到来分については各弁済期の翌日)から各完済に至るまで年五分の金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告は、日本国有鉄道法(以下「日鉄法」という。)に基づいて鉄道事業等を営む公共企業体である(以下、被告を「国鉄」ということがある。)。

(二)  原告は、被告に雇用された職員であって、右職員のうち動力車に関係し千葉鉄道管理局(以下「千葉鉄局」という。)内に配置された職員をもって組織する国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)に所属し、昭和五五年当時、動労千葉の執行委員の地位にあったものである。

2  被告は、原告を昭和五五年一二月二四日付で懲戒免職したとして、原告と被告との間の雇用関係の存在を争っている。

3  原告は、昭和五五年一二月二四日当時、被告から毎月二〇日限り基本給金一九万二〇〇〇円及び扶養等手当として合計金一万七四〇〇円の賃金の支払を受けていた。

よって、原告は被告に対し、原告と被告との間に期間の定めのない雇用関係が存在することの確認並びに昭和五六年一月から毎月二〇日限り金二〇万九四〇〇円の賃金及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(但し、本訴状送達の時に弁済期未到来の部分については、各弁済期の翌日)から各完済に至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の各事実はいずれも認める。

三  抗弁

1  被告は、原告が以下のとおり国鉄就業規則六六条一七号に定める懲戒事由「著しく不都合な行いのあったとき」に該当したため、昭和五五年一二月二四日、日鉄法三一条一項に基づいて、原告を懲戒免職処分に付した(以下、右処分を「本件免職処分」という。)。

2  四・一五事件

(一) 勤労千葉は、昭和五五年四月一五日午後五時過ぎころ、津田沼電車区構内において春闘決起集会を開催したが、そのころ同電車区構内では、動労千葉のほか、国鉄動力車労働組合(以下「動労本部」という。)及び国鉄労働組合(以下「国労」という。)の各組合が春闘決起集会を開催し、同日午後五時三〇分ころには、動労本部組合員約二六〇名が同電車区庁舎(以下「庁舎」という。)の食道前付近(別紙(略)津田沼電車区構内略図(以下「別紙図面」という。)<イ>付近)に、動労千葉組合員約一五〇名が動労千葉津田沼支部事務所前(別紙図面<ロ>付近)に、国労組合員約二〇〇名が中庭に、それぞれ結集していた。動労千葉組合員の集団と動労本部組合員の集団との間には、約六〇メートルの距離があった。

(二)(1) 同日午後五時三三分ころ、原告は、吉岡正明とともに、動労千葉組合員のデモ隊列を統率指揮し、動労本部組合員の集団の方向にデモ行進を開始させたので、被告は、従前の両組合間の対立的事情に鑑み両組合員相互の接触による暴行事件の発生を憂慮して、両組合員の間を遮るべく、庁舎仕業検査掛詰所前通路(別紙図面<ハ>付近)に線路際まで、被告職員による二列横隊の制止線を設けて、動労千葉組合員の方に相対した。

(2) しかるに、原告は、動労千葉組合員のデモ隊列を、最前列から二、三列後ろの右外側に位置しつつ統率して、敢て動労本部組合員の集団に向けて五〇メートル以上も前進させ、制止線を形成していた被告職員の制止を無視し、これを突き破るなどしたうえ、その後方に位置していた動労本部組合員と衝突するに至らせ、これに続く約二分間にわたる両組合員による投石、乱闘によって、動労千葉組合員二名(全治一〇日間及び二〇日間)及び動労本部組合員一一名(全治二日間ないし七日間)の負傷者を出すという暴行事件を惹起して、職場秩序を著しく混乱させた(以下、右事件を「四・一五事件」という。)。

(三)(1) 原告は、当時、動労千葉の執行委員・組織部長として、動労千葉の組織全般、企画、指令、指示等の任務を分担し、いわゆる組合三役に次ぐ重要な役職にあった(なお、現在は書記長の地位にある。)。当日は、千葉電車区においても動労千葉の春闘決起集会が開催される予定で、原告はその責任者とされていたが、右集会が急に津田沼電車区において統合して行われることになったのに伴い、原告は、千葉運転区の集会に動員される予定であった組合員らと共に、津田沼電車区に結集していた組合員らと合流したのであり、以後は、執行委員・教宣部長である吉岡正明と共に、動労千葉の組合員らの集団の行動について指揮統率をするべき最高責任者の立場にあった。

(2) 千葉鉄局管内においては、昭和五四年四月以来、組合間に暴行事件等が発生していたことに鑑み、その防止をはかるため、千葉鉄局長は、昭和五四年一二月二九日付局報により、今後それらの暴力行為を現認した場合は原則として免職処分にするなど厳正に対処する旨の警告を発して、職場秩序の維持に努めていた。四・一五事件当時も、そのような時期に当たっていたが、原告はこのような事情を熟知していた。

(3) 四・一五事件の当日、津田沼電車区構内には、三組合の多数の組合員が狭い場所に結集していたのであるから、集団の指揮統率の責を負う者としては、組合相互の衝突、暴力行為の発生を避けるよう十分に配慮すべきであることは当然である。

(4) しかるに、原告は、前記のとおり、動労千葉組合員のデモ隊列を統率して、敢て被告職員の制止線を突破したうえ動労本部組合員の集団と衝突させ、職場秩序を著しく混乱させたもので、その責任は大きい。

3  五五年春季闘争

(一) 動労千葉は、昭和五五年三月一七日、被告に対し、新賃金の申入れをしたので、数回の団体交渉を行ったうえ、被告が同年四月一一日、定期昇給込みで金七八六〇円(四・二三パーセントアップ)の回答をしたが、拒否された。被告は同四月一二日、団体交渉を打ち切って公労委に調停の申請をしたところ、公労委は各組合に対する事情聴取を行い、合同調停委員会を開くなどしていた。

(二) 動労千葉は、同年四月一三日、一五日及び一六日に、いわゆる春季闘争(以下「五五年春季闘争」という。)を実施し、これにより次のような列車影響を生じ、国民の中心的交通機関としての国鉄の業務の正常な運営を阻害し、国民生活に多大な迷惑を及ぼしたが、原告は、右闘争において、動労千葉の執行委員として参画したのであり、その所為は公労法に違反する違法なものである。

四月一三日

遅延 一三九本

四月一五日

運休 旅客列車一〇七本

遅延 三八二本(最高一六六分。但し、右遅延については、総武本線船橋駅構内における車両破損事故と競合する部分がある。)

四月一六日

運休 旅客列車一〇六一本(うち部分運休一三本)

貨物列車一七四本

遅延 五〇本(最高五七分)

四  抗弁に対する認否

1  被告が、原告に対し、原告が、四・一五事件に際し動労千葉の執行委員として多数の組合員によるデモ隊を指揮し職場秩序を著しく混乱させた責任者であること及び五五年春季闘争に際しこれに参画して業務に支障を生じさせた者であることを理由として、本件免職処分を発令したことは認めるが、原告の行為が日鉄法三一条一項に該当することは争う。

2  四・一五事件について

(一) 昭和五五年四月一五日夕刻、津田沼電車区構内において、動労千葉組合員約一五〇名が動労千葉津田沼支部事務所前から踏切り近くまでの通路に結集し、国労組合員が中庭に結集し、それぞれ春闘決起集会を開催したこと、同日、動労本部組合員約二六〇名が庁舎前付近に結集したこと及び動労千葉の集団と動労本部の集団との距離が約六〇メートルあったことは、いずれも認めるが、その余は否認する。

動労本部の組合員は、いずれも他局管内に所属する者で、ヘルメットをかぶり竹竿を持って、動労千葉の春闘決起集会及び動労千葉津田沼支部を破壊する目的で同電車区に来て、庁舎玄関前から使用予定のない線路上に扇状に結集した。

(二) 動労千葉組合員約一五〇名が、吉岡正明の統率指揮により、デモ隊列を組んで移動を開始したこと、原告が右デモ隊列の最前列から二、三列後ろの右外側に位置していたこと、被告職員が被告主張のような隊列の制止線を設けたこと及び同日動労千葉の組合員二名が被告主張の程度の傷害を負ったことは、いずれも認めるが、その余は否認する。

動労千葉組合員は、その人数が更に増す見込みであったので、使用中の線路上にはみ出てしまうのを避けるため、現場の地理的条件からして、庁舎方向に約五〇メートル移動するべくデモ隊列を組んで移動を開始したのであり、動労本部組合員の集団を目指してデモ行進をしたわけではない。右デモ隊列が、被告職員の制止線の手前でUターンしようとしたとき、その背後にいた動労本部組合員らが右デモ隊列の中間部付近に集中して投石したため、デモ隊列が乱れ、最前部が後ろから押し出されて被告職員と接触したほか、被告職員の斜め後方(線路側)から動労本部の集団が右デモ隊列に突入したため、被告職員の制止線も崩れ、現場が混乱状態となったのである。

(三) 原告が、当時、動労千葉の執行委員・組織部長であったこと、組織部長の任務分担が組織全般、企画、指令、指示の伝達等であったこと、動労千葉は、当日、千葉運転区及び津田沼電車区において春闘決起集会を開催することとしていたところ、動労本部が津田沼電車区に大挙押しかけるとの情報があったため、千葉運転区での集会を中止して津田沼電車区で開催される集会に切り換えたこと、原告が千葉運転区での集会の責任者に予定されていたこと、動労千葉組合員が結集していた場所が極めて狭かったこと及び千葉鉄局長が局報により被告主張のような通達を出したことは、いずれも認めるが、その余は争う。

動労千葉においては、三役以外の執行委員は、いずれも他の執行委員と同等の権限を有するにすぎないし、当日の津田沼電車区構内における決起集会の最高責任者は、動労千葉本部から派遣された執行委員・教宣部長の吉岡正明であり、動労千葉組合員のデモ隊列の指揮統率を行ったのも同人である。原告は、動労千葉闘争委員会の指令に基づき執行委員の一人として津田沼電車区に赴き、吉岡正明の指揮下に入り、同人が企画・指導したデモに補助者として付き添ったにすぎない。また、従来、千葉鉄局管内で発生した暴行事件は、動労本部が動労千葉の各支部事務所や職場に押しかけて、動労千葉組合員や千葉鉄局の職制らに対して暴力行為を働いたものであるし、千葉鉄局長の発した前記通達は、各職場の管理者がこれを公にしなかったため、動労千葉組合員ら職員はこれを知りうる状態になっていなかった。

3  五五年春季闘争について

動労千葉が、被告主張の経過で、その主張の年月日に春季闘争を実施し、原告がこれに参加したことは認めるが、その余は争う。原告の所属する労働組合が争議行為を行ったとしても、原告自身には日鉄法三一条該当事由はなく、また、五五年春季闘争には動労本部及び国労等の各組合も参加しており、列車影響は動労千葉の闘争のみによって生じたものではない。

五  再抗弁

1  本件免職処分は、戦闘的な動労千葉の闘争力を減殺する目的でなされた労働組合に対する支配介入であり、かつ、国鉄の複数の労働組合のうち動労本部を不当に優遇し動労千葉を不当に不利益に扱うという著しい差別的取扱いに出た行為であって、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であり、動労千葉の組合潰しを狙った政治的処分であって、無効である。

(一) 動労千葉は、動労本部の「組合民主主義否定」「三里塚・ジェット燃料貨車輸送反対闘争の圧殺」に抗議し、昭和五四年三月三〇日、動労千葉地本組合員により結成された組合であるが、動労本部は動労千葉を壊滅しようと、本部オルグ団と称して連日動労千葉の各支部に押しかけて暴力を働いた。昭和五四年四月一七日には、竹竿、バール、石で武装をした約一五〇名の集団が津田沼電車区を襲撃し、動労千葉津田沼支部組合員十数名に重軽傷を負わせ、その混乱で電車が一〇〇本運休する事態が生じた(以下、この事件を「四・一七襲撃事件」という。)。しかるに、被告は、動労本部の暴力行為を不問に付し、動労本部と結託し又はその圧力に屈して、一貫して動労千葉を嫌悪し敵視する政策をとり、動労千葉が昭和五四年六月一五日に公労委によって新組合として認められるまでは「組合ではない」とし、公労委による認知後も、国鉄本社との交渉を一方的に拒否し、同年九月まで団体交渉に応じなかった。

(二) 千葉鉄局長の局報による通達も、動労本部の暴力行為については、過去の問題は不問に付し、将来も他局管内の職員に対しては懲戒を加える意思も能力もないことを表明しつつ、動労千葉組合員の暴力行為のみは現認次第厳重に処分するという実質のものである。

四・一五事件の際の被告職員による事件の現認態勢も、所属や氏名の判らない動労本部組合員の行為は観察の対象とせず、見慣れている動労千葉組合員に多少でも暴力行為があるかどうかだけを現認の対象とするというものであった。けっきょく、被告は、四・一五事件当日、動労本部組合員が津田沼電車区に入区すれば必ず混乱が生ずることを認識しながら、その入区を認めたうえ、動労本部組合員の暴力が原因で生ずる混乱についても、動労千葉組合員に暴力行為がある限り、これを懲戒処分にするという方針を持っていたのである。

(三) 四・一五事件において、動労千葉のデモ隊列と被告職員の制止線が接触するに至った直接の原因は、動労本部組合員による投石及びこれに続く同組合員による側面からの突入であり、これさえなければ、動労千葉のデモ隊列は、制止線の手前で整然とUターンをし、何らの混乱も生じなかった筈である。ひいて、右混乱の責任は、動労本部の津田沼電車区への入区の目的が動労千葉に対する暴力的襲撃であることを熟知していた被告が、何らの注意もすることなく安易にその入区を認め、多数の竹竿の搬入を許し、その行動を制止する手段を講ぜず、職員による制止線を動労千葉側にのみ向かわせて、動労本部組合員をして投石や竹竿携行による突入を容易にさせた被告にある。被告の行為は、動労本部を入区させることによって発生したトラブルを把えて動労千葉を処分するための口実、契機を作ろうとしたものに外ならない。

(四) 四・一五事件についての弁明弁護の手続においては、現認報告書が全く提出されなかった。そして、従来、現認報告書の存在しない案件について重大な処分が行われることはなく、千葉鉄局では原告を懲戒免職にするのは無理と認識されていた。それにもかかわらず本件免職処分がなされたのは、動労本部が国鉄本社に対し、当日の責任は動労千葉にあることを認めるよう強要したので、被告は動労本部との友好関係の維持と動労千葉の組織破壊方針に基づいて右強要に屈したからに外ならない。なお、本訴において提出された現認報告書(<証拠略>)には、日付の記載がなく、動労本部側の行動に触れるところもないが、これは、動労本部側の動向をも記載してあった現認報告書が当局の指示で書き換えられたものである。

(五) 被告は、動労本部や国労の組合員による暴行事件については、四・一七襲撃事件、新小岩貨車区事件(国労組合員が管理者に暴行した事件)、新前橋電車区事件(動労と国労の大規模な対立に管理者が巻き込まれた事件)等の例に見られるように、これを不問に付し、又は比較的軽微な処分をしたにとどまった。

四・一五事件については、動労本部側には免職者はなく、責任者が停職一月という軽い処分に付されただけで、動労本部側が投石及び突入という先制攻撃を行った点は一切不問とされているのに対し、動労千葉側は、原告が懲戒免職で、吉岡正明が停職一二月と、極めて重い処分を受けたが、これは、被告が、原告及び吉岡正明が動労千葉組合員であるが故に極刑に処したもので、余りにも極端な不均衡な処分である。

また、本件免職処分は、五五年春季闘争をも処分理由としているところ、五四年春季闘争については処分が凍結されていたのを、報告は動労千葉に対してのみ昭和五四年一二月二七日に凍結解除を行って中野洋書記長を解雇するという処分を強行したのであるが、大規模な闘争を組んだ国労や動労本部に対しては解雇は皆無であり、ここにも被告が既存組合以外の新しい組合を認めないという態度が表われている。

2  懲戒免職は、他の懲戒処分とは比較にならない厳しい処分であるから、使用者がこれを選択するについては、その基礎となる非行事実の認定について格別に慎重でなければならないし、仮に、事実の認定に誤りがなくとも、その行為の原因、動機、態様、結果、影響等、諸般の事情を考慮したうえ、他の懲戒処分で足りないかどうかを最後まで模索、配慮すべきであり、そうでない場合には、懲戒免職処分は、使用者に与えられた裁量権の範囲を超えた違法なもの(懲戒権の濫用)として、無効とされなければならない。

(一) 四・一五事件の態様等

(1) 動労千葉組合員がデモ隊列を組んで移動をしたのは、集会の態勢を整えつつ集会場を整理する必要からで、被告職員の制止線の手前でUターンしたうえ集会場の整理をする予定であったのであり、制止線や動労本部との接触、衝突を意図したものではない。

(2) 動労千葉組合員のデモ隊列と被告職員の制止線との接触の直接の原因は、動労本部側が先制攻撃として行った投石及び線路側からの突入であり、遡って、被告が動労本部組合員らの入区を安易に許したところに事件の発端がある。

(3) 被告職員の制止線との接触にしても、動労千葉組合員のデモ隊列が直接に制止線を突破したのではない。制止線の職員らは、後方からも動労本部のデモ隊が迫ってくる中で、動労千葉組合員のデモ隊列と接触するかしないかの時に自ら庁舎側と線路側とに分散したのである。そして、線路側から突入した動労本部組合員によって動労千葉組合員が庁舎側に押しやられたため、庁舎側に分散していた被告職員が更に庁舎側に押されたのである。

(4) 以上のとおり、四・一五事件の直接の責任は、すべて動労本部側にあるのであり、ひいては、被告がその責任を負うべきものである。

仮に、動労千葉側に何らかの責任があるとしても、吉岡正明や原告らデモ隊列を指揮していた者が、隊列と制止線との接触を防ぎきれなかったという、ないしは、動労本部の投石、突入を予測してそれに対する態勢をとりえなかったという、過失責任があるにすぎない。

(5) 動労千葉組合員は、被告職員を強制的に排除したわけではなく、被告職員に負傷者も出ていない。混乱も一分以内に終っており、電車の運行業務に支障も生じていない。したがって、実害は皆無に等しく、職場秩序を著しく混乱させたというには当たらない。

(二) 原告の地位・役割

四・一五事件の際、現場の最高責任者は、派遣闘争委員である吉岡正明教宣部長であった。同人は、津田沼電車区の出身で、同区内で信頼されており、闘争の収拾に熟達している。原告は、動労千葉の一執行委員にすぎず、組織部長であるからといって教宣部長より地位が上というわけではなく、当日は吉岡正明の指揮下に入ったのである。具体的にも、動労千葉組合員のデモ隊列の移動は、吉岡正明が企画し指導したのであり、原告は、他の執行委員とともに、これを了解してデモ隊列に付き添っただけであり(原告は、青年部の役職の経験もなく、青年部が先頭となった当日のデモ隊列を指揮する立場にもない。)、原告に何らかの責任があるとしても、補助者の責任にすぎない。

(三) 他の処分との均衡

(1) 前記1(五)と同旨で、本件免職処分は、被告が従来してきた他の処分の例と比較しても、また、動労本部ないし国労の組合員に対する処分の例と比較しても、著しく均衡を失した不平等、不公正な政治的処分であり、四・一五事件については、動労本部側の先制攻撃を不問に付し、実行行為者というわけでもない原告に対し最高責任者の吉岡正明よりも重い責任を課せられる理由はない。

(2) 原告が、被告の後記六2(三)主張のとおりの被処分歴を有し、かつ、その主張の処分通告を受けたことは認めるが、過去の春季闘争におけるストライキ責任についてのものが主で、四・一五事件の場合とは性格を異にし、その処分内容も軽微である。

六  再抗弁に対する認否

1  四・一五事件及び五五年春季闘争に関する事実関係は、客観的、公正かつ適確になされた現認等の証拠に基づくものであって、職場規律に違反する著しく不都合な行為として原告を懲戒免職処分に付する合理性があり、本件免職処分について不当労働行為を問題とする余地はない。

(一) 動労千葉が動労本部から分裂した組合であること、昭和五四年四月一七日に津田沼電車区構内で動労千葉組合員と動労本部組合員との間に紛争があった外、同年四月ころから一一月ころまでの間、両組合の間で数回にわたり抗争があったこと及び被告が同年九月まで動労千葉と正式の団体交渉を行わなかったことは、いずれも認めるが、その余は争う。

四・一七襲撃事件については、動労千葉は捜査機関の事情聴取等に一切応ぜず、事実関係の解明ができなかったため、被告においても特段の措置をとることができなかった。また、被告と動労千葉との間には、正式な団体交渉の前提となる「団体交渉に関する協約」が存在せず、被告側の締結権者を総裁又は千葉鉄局長のいずれとするかについて当事者間の意見が一致しなかったため、昭和五四年九月二六日右協約締結まで正式な団体交渉がなされなかったが、被告は、その以前にも動労千葉との間において、他組合との間で行った交渉と実質上同様の話合いの場を設けて、事案の処理に当たっていた。

(二) 千葉鉄局長が局報による前記通達を発したことは認めるが、その余は争う。右通達は、千葉鉄局管内の全職員を対象としたものであって、動労千葉組合員を不当に差別するものでないことは、いうまでもない。

(三) 四・一五事件の態様及び責任の所在についての主張は争う。

津田沼電車区においては、動労千葉が主力ではあるが、動労本部が同構内で集会を開くことにつき、被告が介入しうる立場にはない。しかし、被告は、四・一五事件の当日午後四時三〇分ころ、動労本部組合員が同電車区構内に入区する際、その責任者村上馨らに対し、動労千葉との衝突が十分回避しうる場所で整然と集会を行うこと、集会は時間内に終わらせ、挑発的行為は慎しむこと、無用の竹竿は持ち込まないこと(旗竿五本程度は差支えない。)等の条件を付した。

被告職員による制止線は、動労千葉組合員のデモ行進の開始を契機として形成されたものであるが、その時点では、動労本部は単に静止集合して特段の行動に出ていたとは認められなかったので、制止線がデモ行進を続ける動労千葉側に向けられたのは当然の成行であった。

(四) 現認報告書についての主張は争う。現認報告書は、現認者の当日の記憶、メモ及び録音テープ等に基づき、事件直後に作成されたもので、書換えがされた事実はない。動労本部側についても、現認が確実に行われている。

(五) 四・一七襲撃事件について被告が特段の措置をとることができなかったこと、四・一五事件についての処分結果が原告主張のとおりであること及び昭和五五年一月七日に中野洋を解雇したことは、いずれも認めるが、その余は争う。

四・一五事件について、職場秩序の回復に当たった被告職員に妨害を加える動労本部組合員に対して、指導的立場にありながら適切な指示を与えなかったとの理由により、動労本部の集会責任者村上馨を停職一月の処分に付した(なお、停職一二月となった吉岡正明は、その後、昭和五六年五月三一日、公労法一八条により解雇された。)。

五四年春季闘争に関する処分凍結は、国鉄再建に向けて各組合の協力を期待してなされた異例の措置で、闘争の違法性及びその処分可能性になんらの影響を及ぼすものではなかった。動労千葉が昭和五四年一〇月二二日以降にジェット燃料貨車輸送阻止闘争のような争議行為を行ったので、右凍結を解除し、厳正な処分をもって対処したが、これは凍結当初からの方針に副った適正な措置に外ならない。

2(一)  動労千葉組合員は、当初、動労本部組合員の集団から約六〇メートル離れて集会を行っていたのに、敢てこれに向ってデモ隊列を組み五〇メートルもの距離を前進したという経過からして、挑発的かつ意図的なものが認められる。右デモ隊列がUターンをしようとした形跡もないし、投石の開始も動労千葉側からである。被告職員の制止線は、前面からの動労千葉のデモ隊の圧力に押されて後退した結果、動労本部組合員との間に狭まれて左右にはじき飛ばされたのである。動労千葉組合員の右のような行為につき、原告が指揮者の立場にあったことは否定できない。

(二)  このように、原告の所為は、動労本部組合員に比して悪質であり、衝突に端を発して両組合員の乱闘が生じた結果、十数名の負傷者が出るなどして職場秩序が著しく混乱させられ、その影響は重大なものがある。殊に、千葉鉄局長通達が出された後の事件であることも加えて、原告の責任は重大で、これが放置されれば、今後の職場秩序及び他の職員らに与える影響の点で、大きな問題を残すことになる。これに、後記の従前の被処分歴及び被通告歴をも総合考慮すれば、原告に対し懲戒免職処分を選択した被告の裁量権の行使には、何ら不当な点はない。

(三)(1)  原告は、(ア)昭和五一年一〇月二日、五〇年スト権奪還闘争を理由として、日鉄法三一条により、一か月間の一〇分の一減給、(イ)同五二年一一月一日、五一年春季闘争を理由として、同法条により、一か月間の一〇分の一減給、(ウ)同五三年三月三一日、五二年春季闘争を理由として、同法条により、二か月間の一〇分の一減給、(エ)同五四年二月一日、五三年春季闘争を理由として、同法条により、四か月間の一〇分の一減給、の各処分を受けた。

(2) このほか、原告は、本件免職処分を受ける前に、(ア)昭和五四年三月、同五三年九月から一二月にかけての秋季闘争に関し、三か月間の一〇分の一減給、(イ)同五四年一二月、同年四月の春季闘争及び同年一〇月、一一月のジェット燃料貨車輸送阻止闘争に関し、停職二月、の各処分に付される旨の事前通告を受けた。

第三  証拠関係は、記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  請求原因事実は、当事者間に争いがない。

二  抗弁について検討する。

1  被告が原告に対し本件免職処分を発令したことは、当事者間に争いがなく、以下、その処分理由となった事実の存否につき判断する。

2  四・一五事件

(一)  次の事実は、当事者間に争いがない。

昭和五五年四月一五日夕刻に、国鉄津田沼電車区構内において、動労千葉組合員約一五〇名が動労千葉津田沼支部事務所前付近(別紙図面<ロ>付近)の狭い場所に結集して春闘決起集会を開催したこと(なお、当日、動労千葉は、千葉運転区でも集会を開催する予定で、原告がその責任者とされていたが、右集会が中止となり津田沼電車区での集会に統合して行われることになったものであること。)、右同時刻ころ、国労組合員も同電車区の中庭に結集して春闘決起集会を開催し、また、動労本部組合員約二六〇名も庁舎前付近(別紙図面<イ>付近)に結集したこと、動労千葉組合員の集団と動労本部組合員の集団との間には約六〇メートルの距離があったこと、動労千葉組合員の右集団がデモ隊列を組んで庁舎の方向へ移動を開始し約五〇メートル前進したが、原告は右隊列の最前列から二、三列後ろの右外側に位置していたこと、被告職員が庁舎仕業検査掛詰所前通路(別紙図面<ハ>付近)に線路際まで二列横隊となり右デモ隊列の方に向かって並び制止線を設けたこと、その後、右デモ隊列と制止線との接触、動労本部組合員と右デモ隊列との衝突、投石等による現場の混乱状態が生じ、けっきょく動労千葉組合員二名が全治一〇日間及び同二〇日間の傷害を負ったこと、千葉鉄局長が昭和五四年一二月二九日付局報で被告主張の文言の警告を発していたこと、原告が動労千葉の執行委員・組織部長で、組織部長の任務分担が組織全般、企画、指令、指示の伝達等であったこと、吉岡正明が動労千葉の執行委員・教宣部長であったこと。

(二)  右の当事者間に争いのない事実と、(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、その認定に反する(証拠略)は措信できない。

(1) 原告が所属する動労千葉は、昭和五四年三月に動労千葉地本が、動労本部との闘争路線の対立が原因となって独立して組織された労働組合であるが、その後も両組合の対立は激しく、動労本部側が動労千葉の事務所や職場等に押しかけて暴力を振るうという騒ぎが頻発した。このため、千葉鉄局長は、管内の各職場長宛の同年一二月二九日付局報により、「今後、職場において仮に暴力行為が発生した場合、これまでの経緯にかかわらず、当該職員の所属のいかんにかかわらず、当局において現認した職員に対しては原則として免職処分にするなど、厳正に対処する」旨の警告を発した。右警告に対して、動労千葉は、千葉鉄局管内に組織を持たない動労本部の暴力を免責し、動労千葉組合員の暴力のみを処罰の標的とした弾圧であるとして反撥したが、原告を含む組合員らも右警告の存在を知悉し、職場における暴力排除の必要性については十分な認識を持っていた。

(2) 動労千葉は、昭和五五年四月一三日、一五日及び一六日に、千葉運転区支部及び津田沼支部を拠点とする春季闘争を計画し、同月一五日夕刻に両支部で春闘決起集会を開催する予定となっていたが、多数の動労本部組合員が津田沼電車区に来るとの情報があったため、千葉運転区での集会を中止して津田沼での集会に統合することになった。動労千葉は、動労本部の津田沼への来集は、動労千葉ないし動労千葉の春季闘争に対する破壊活動であると受けとめ、これに対処するため、千葉電車区に参集予定の原告ほか多数の組合員や執行委員らに津田沼電車区に参集するよう指示した。

四月一五日午後四時半すぎころ、津田沼電車区構内の動労千葉津田沼支部事務所前付近(別紙図面<ロ>付近)に動労千葉組合員約八〇名が集まって待機中、約二六〇名の動労本部組合員が同電車区に到着し、入口付近で電車区長らと数分間のやりとりをしたうえ、デモ隊列を組んで中庭を通り庁舎玄関前から食堂前にかけての通路付近(別紙図面<イ>付近。なお、津田沼電車区構内の通路(別紙図面の茶色部分)の幅員は約四メートルである。)に集結した。このとき、動労千葉組合員の中から動労本部側に対して野次を飛ばす者もあった。動労本部側は、電車区長らの説得で、持込みの旗竿の本数を減らすなどしたが、庁舎玄関前に掲げた組合旗等から見て、主として東京地本傘下の各組合員らであり、相当数がヘルメットを着用していた。動労本部の右集団は、午後五時ころ、同所で約一〇分間の春闘決起集会を開いて気勢をあげた後、三三五五、休会状態に入った。

なお、同じころ、同電車区中庭付近でも、相当数の国労組合員が参集して集会を開くなどした。

(3) 午後五時すぎころ、動労千葉の組合員約七〇名が前記組合事務所前付近に来集し、総勢約一五〇名以上となった。このとき、原告も到着し、同事務所内に居た吉岡正明執行委員に挨拶し、動労千葉組合員の参加人員が増加して構内踏切りの線路内(別紙図面「保線検査班」前付近)に立っている者もあり危険であると告げた。吉岡正明も右の状況を見て、集団を整理し、集会場を確保し、組合員の団結心を高める目的でデモ行進を行うことを考え、原告ら数名の執行委員にその旨を伝えた。原告は、「向こうに動労本部がいるが大丈夫か。」と言い、吉岡正明は「途中で引き返して組合事務所前で集会をやるのだから心配ない。」と答えた。吉岡正明は、動労千葉津田沼支部青年部長吉岡一及び動労千葉本部青年部長田中康宏の両名に対し、庁舎方向にデモをして整理するように指示をした。

午後五時半すぎころ、吉岡一及び田中康宏は、参集していた組合員全員を集合させ、津田沼支部青年部員を先頭集団とする四列縦隊に整列させ(田中康宏がハンドマイクを使用した。)、前の方はスクラムを組ませ、先頭の四名には有り合せの短いビニールパイプを横にして持たせてデモ隊列を作った。原告ら執行委員も隊列作りに協力した。そうして、右デモ隊列は、「春闘勝利」「合理化粉砕」の掛声をかけながら、比較的ゆっくり歩く速度で、通路上を庁舎の方に向かって直進し始めた。吉岡一は、吉岡正明の指示によりデモ隊列の先頭に位置して指揮をし、吉岡正明は先頭から二、三列後方の左外側に、原告は先頭から二、三列後方の右外側に、それぞれ付き添うように歩き、他の執行委員ら数名も、適宜、デモ隊列の外側に付き添う形で歩いた。

(4) 一方千葉鉄局当局側は、同日、津田沼電車区構内で動労千葉、国労及び動労本部の三組合が同時刻ころに集会を開くこととなったため、従来の暴力事件の前例に鑑み、春闘対策本部の対策要員を同電車区に増派して、暴力事件等の発生の阻止及び現認に対処することとした。

そして、動労千葉組合員が前記のデモ隊列を組み始めたころ、二十数名の対策要員が、古山電車課長の指揮で、庁舎仕業検査掛詰所前の通路上(別紙図面<ハ>付近)に線路際まで二列横隊となり、右デモ隊列の方に向かって制止線を形成した(スクラムは組まなかった。)。

その際、動労本部側は、前記の休会状態が続いていたが、動労千葉のデモ隊列が前進して来るにつれて、庁舎玄関前付近で隊列を組み、喚声をあげるなどして、少しずつ前進し、制止線の背後に接近していた。

(5) 動労千葉組合員のデモ隊列は、約五〇メートル前進し、次第に制止線に近ずいたので、吉岡正明は、制止線の手前五ないし六メートル付近で隊列をUターンさせようと考えたけれども、その旨を吉岡一に対して指示していなかったので、デモ隊列はなおも前進し、制止線の直前にまで達してしまった。そのころ、動労本部側も、制止線の後方一ないし二メートル付近に結集していた。

その少し前に、制止線側から古山課長及び高橋昭夫労働課補佐らが動労千葉のデモ隊列の方に進み出て、古山課長は吉岡正明に、高橋昭夫は原告に、それぞれデモ隊列の前進を止めるかUターンをさせるかして、混乱を生じさせないようにと指示をした。そして、吉岡一はデモ隊列を止めようとし、吉岡正明はデモ隊列を右側に回そうとしたが、いずれも意の如くならず(原告は、格別、何もしなかった。)、デモ隊列の先頭が制止線を押すようにして被告職員と接触してしまった。

このため、制止線の被告職員のある者は危険を感じて左又は右に避けたが、ある者は押されて後退し、ある者はデモ隊列に巻き込まれるなどした。これと殆ど時を同じくして、制止線の背後に迫っていた動労本部組合員らが動労千葉のデモ隊列に対して突進し、双方の組合員の殴り合い蹴り合い、取っ組み合い等の乱闘となり、また、これらと殆んど同時に双方の組合員の何名かずつが線路内の石を拾って相手方の集団目がけて投げつけるという騒ぎとなった。動労本部組合員の中には、竹竿を持って突いた者も何名かあった(しかし、右の接触・衝突の前に動労本部組合員が石を集めて投石の準備をしていたとか、動労本部組合員からの投石及び突入が先に行われたために動労千葉のデモ隊列が乱れてしまって接触・衝突を招いたというような事実は、証拠上認められない。)。

(6) 右の混乱は、一分か長くて二分くらい続いたが、動労本部の集団がいち早く庁舎食堂前方面や線路の方に退き、動労千葉側も組合事務所の方に引き揚げ、若干の散発的な小競合いは残ったものの、それも被告職員らの仲裁により間もなく治まり、現場は一応平静に戻った。

右混乱の結果、動労千葉組合員二名が全治一〇日間及び同二〇日間の負傷をし、動労本部組合員約一一名が若干の負傷をして、いずれも救急車や同電車区の自動車で病院に運ばれた(なお、動労本部組合員の負傷者が自動車で運ばれる際、興奮状態の続いていた動労千葉組合員の一部が自動車を押し戻したり蹴飛ばすなどの妨害をしたのに対し、原告はハンドマイクを持って右妨害行為をやめさせている。)。

他方、制止線を形成していた被告職員の何名かも、隊列に巻き込まれて倒れたり殴られたりしたが、格別の負傷者はなく、庁舎設備等にも格別の被害はなかった。

(7) 原告は、他の執行委員らと共に、動労千葉組合員の隊列を整えたり、興奮状態を宥めたりしていたが、そのうち動労本部組合員らが同電車区から退去したので、吉岡正明が司会者となって、動労千葉組合員による春闘決起集会が開かれた、右集会において、原告は、吉岡正明の指示により、同日の経過報告をしたり、春闘を成功させようとの演説をし、その後に中野書記長らが右集会に参加し、基調演説や応援演説等が行われた。集会後は、吉岡正明と津田沼支部組合員らは同電車区に残って翌日のストライキに備え、原告らは同電車区から帰って千葉運転区での闘争準備に入った。

(8) 原告は、動労千葉の執行委員で、組織部長であり、組織部長の任務分担は組織全般、企画、指令、指示の伝達等であり、春季闘争等に際して闘争計画を立案したり、執行委員会での決定に参画したり、その決定に基づいて指示を作成・伝達する等の役割を担っていた。吉岡正明は、動労千葉の執行委員で、教宣部長であり、同人は津田沼電車区の電車運転士出身であって、同電車区での乗務に精通している。ところで、動労千葉においては、委員長、副委員長、書記長の各一名がいわゆる三役を構成しているほか、数名の執行委員があり、各執行委員はそれぞれ任務分担を異にしているが、執行委員相互間には上下関係や序列は存在しない。

そして、春季闘争などの場合には、各拠点ごとに動労千葉本部から派遣執行委員一名が任命され、本部の指示を受けて当該拠点での最高責任者となる。右拠点での行動に、他の執行委員が参加することもあるが、責任者はあくまでも派遣執行委員であり、ただ、派遣執行委員の判断で他の執行委員と協議のうえ行動をすることもある。

五五年春季闘争においては、原告は千葉運転区を拠点とする闘争の派遣執行委員であったが、津田沼支部を拠点とする闘争については、派遣執行委員は吉岡正明であった。原告が四月一五日に津田沼電車区に赴いた経緯は、前認定のとおりで、原告は執行委員の一人であり、他にも数名の執行委員が同電車区に参集したが、最高責任者が吉岡正明であることには変わりがなかった。本件のデモ行進を立案したのも同人であるが、同人がこれを決定し実施するについては、前認定のとおり、原告ら執行委員に諮って意見を聞いており、原告は賛成の意を表明したのである。また、吉岡正明は、デモ隊列の指揮を吉岡一に命じたが、原告も執行委員として隊列の外に位置し、何か事が生じた場合に備えていたのであって、原告がデモ隊列の指揮統率の役割の重要な部分を担ったことが明らかである。前記乱闘騒ぎの収拾の過程で、原告が重要な役割を果たしたことも、前認定のとおりである。なお、原告は、その後、動労千葉の書記長に就任し(当時の書記長中野洋は委員長に就任した。)、現在に至っている。

3  五五年春季闘争

(一)  動労千葉が、昭和五五年三月一七日、被告に対し、賃上げの申入れをし、数回の団体交渉のうえ、被告が同年四月一一日、定期昇給込みで金七八六〇円(四・二三パーセントアップ)の回答をしたのに対し、動労千葉がこれを拒否したこと、被告が同四月一二日、団体交渉を打ち切って公労委に調停の申請をし、公労委が各組合に対する事情聴取を行い、合同調停委員会を開くなどしたことは、当事者に争いがなく、公労委による調停作業がそれ以上の進展を見なかったことは公知の事実である。

(二)  右のような情況下で、動労千葉が、昭和五五年四月一三日、一五日及び一六日に五五年春季闘争を実施したこと及び原告がこれに参加したことは、当事者間に争いがない。

(三)  (証拠略)によれば、動労千葉の行った右闘争の内容並びにその影響と見られる列車運休及び列車遅延の状況は、次のとおりと認められる。

(1) 四月一三日 順法闘争

列車遅延 一三九本(遅延時間一分ないし二七分)

(2) 四月一五日 始発から正午まで順法闘争

列車運休 旅客列車一〇七本

列車遅延 三八二本(遅延時間一〇分ないし一六六分)

(3) 四月一六日 正午から午後七時までストライキ

列車運休 旅客列車一〇六一本(うち部分運休一三本)

貨物列車 一七四本

列車遅延 五〇本(遅延時間一分ないし五七分)

(四)  もっとも、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、四月一五日には、動労本部も午前零時から午前九時まで順法闘争及び一割減速の闘争を行っており、かつ、同日午前七時すぎころ、総武線船橋駅付近において車両破損事故が発生して、総武快速線が上下線とも約三時間にわたり運休しており、前記の列車運休及び列車遅延の本数には、これらによる影響も含まれている。

同じく、四月一六日には、国労及び動労本部も始発からストライキに入っており、前記の列車運休及び列車遅延の本数には、これによる影響と競合する部分がある。

そして、右各競合部分の程度、割合等を詳らかにしうる資料はないが、それにしても、動労千葉の闘争による列車運行への影響は、決して少なくはないと推認される。

4  以上認定の事実に基づいて、原告の行為が日鉄法三一条一項に該当するかどうかを判断する。

(一)(1)  動労千葉は、前認定の五五年春季闘争を実施し、少なからぬ列車運行への影響を生じさせたが、原告が右闘争に参加したことは原告の認めるところである。のみならず、原告は、当時、動労千葉の執行委員・組織部長で、闘争計画の立案をし、執行委員会での闘争計画の決定に参画し、決定された闘争計画に基づく指令の発出・伝達の任に当たったこと、ストライキ拠点の一つであった千葉運転区の派遣執行委員として同拠点での最高責任者の地位にあったこと、他のストライキ拠点であった津田沼電車区においても、四・一五事件当日、最高責任者である吉岡正明と協議し又は同人を高度に補佐して重要な役割を演じたことは、いずれも前認定のとおりであり、かつ、当時、動労千葉の関川執行委員長及び中野書記長が既に国鉄を解雇されていた(当裁判所で右解雇の効力を争っていた。)ことは当裁判所に顕著である。

したがって、原告は、五五年春季闘争に単に参加したにすぎないのではなく、同闘争においては、国鉄職員の身分を有する動労千葉組合員の中で最も重要な地位を占め、最も指導的な役割を果たした者であると認められる。

(2)  そして、公共企業体である国鉄において、職員及び組合は、同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることが許されず、職員並びに組合の組合員及び役員が、右禁止行為を共謀し、そそのかし若しくはあおってはならないことは、公労法一七条一項の明定するところで、五五年春季闘争における原告の行為は、右規定に抵触し、その情状も重大である。

(二)(1)  四・一五事件における動労千葉組合員らの行動は、前認定のとおりであり、組合事務所付近においてデモ隊列を組みデモ行進を開始する前後の時点では、本件のような乱闘騒ぎの発生を積極的に意図していたとは認められないが、動労千葉側としては、従前の経緯や当日の情況からして、動労本部側が動労千葉の春季闘争を妨害する目的で来集したとの認識を持っていたのであるから、それにもかかわらずデモ隊列を組んで狭い通路を気勢をあげながら動労本部側に向かって直進すれば動労千葉側としても興奮状態となる一方、動労本部側を刺戟して攻撃的態勢をとらせることとなり、双方の衝突に至るであろうことは、誰しもが予想するところである。また、デモ行進の開始のころに、被告職員が制止線を形成したことを認識しているのであるから、右のような衝突が生じるときには、右制止線を突破するという事態をも招くであろうことも、十分に予測しうる事柄である。

したがって、動労千葉組合員らがデモ行進を開始するに当たっては、一定の場所で停止するとかUターンをするとか予め明確にし徹底しておき、これを確実に行えるような措置をとっておかなければ、制止線との接触及び動労本部側との衝突に至る可能性が極めて高い情況であったというべきである。

更に、動労千葉組合員のデモ隊列が制止線に接近し、動労本部側が隊列を組んだり喚声をあげるなどし始めたころになると、そのままデモ行進を続ければ、デモ隊列と制止線及び動労本部側との接触、衝突は必至の情況となったと見る外はなく、これを避けるには、直ちにデモ行進を中止して後方に退避すべく適切・有効な措置をとらなければならなかったというべきである。

(2)  しかるに、最高責任者であった吉岡正明も、その他のデモ隊列の統率者らも、右のいずれの措置をもとることなく、単にデモ隊列を途中で停止ないしUターンさせようと考えただけで漫然と行進を開始し、制止線の直前に至るまでそのまま行進を継続させたのであり、デモ隊列の指揮統率をする者としては、本件の接触・衝突・乱闘騒ぎの発生を招いたことにつき重大な落度があり、少なくとも、隊列が制止線の数メートル手前に接近した時点以降は、デモ隊列による制止線との接触及び動労本部組合員との衝突・乱闘という事態が必至であることを認識しながら、これを阻止する有効な手段を講じないで、結果の発生を招来させたことについて責任を負わなければならない。

そして、原告が当日の最高責任者であったとの被告の主張は事実に反するが、原告がデモ隊列の指揮統率の役割の重要な部分を担ったといいうることは前認定のとおりであるうえ、原告の動労千葉における地位、五五年春季闘争における役割、本件の乱闘騒ぎの収拾過程における活躍等を併せ考えると、四・一五事件について、原告は、最高責任者の吉岡正明に準ずる指導的立場にあったというべきである。

(3)  四・一五事件の影響は前認定のとおりであり、なるほど被告職員に負傷者はなく、庁舎設備の被害や列車運行への影響があったとも認められないが、企業の職場において、しかも国民の生命、財産を担って輸送の責任を果たすべき国鉄の職場において、職員同志が乱闘騒ぎを演じ十数名の負傷者を出すという事態は、それ自体極めて異常であり、加えて、被告職員による制止をも無視する態様で右のような事態を生じさせた点をも考慮すれば、右事件により職場秩序が著しく混乱したものといわざるをえない。

(三)  けっきょく、原告の以上の所為は、国鉄就業規則六六条一七号、日鉄法三一条一項の懲戒事由に該当するものという外はない。

三  再抗弁について判断する。

1(一)  動労千葉が、動労本部との闘争路線の対立が原因で、昭和五四年三月に独立して組織された労働組合であること、その独立後も動労本部側が、四・一七襲撃事件などのように、動労千葉の事務所や職場等に押しかけて暴力を振るうという事件が頻発していたこと、被告の千葉鉄局長が同年一二月二九日付局報により暴力事件に厳正に対処する旨の警告を発したことは、前認定のとおりであり、被告が四・一七襲撃事件につき動労本部側に対して格別の処分を行わなかったこと、被告が同年九月まで動労千葉と正式の団体交渉を行わなかったことは、当事者間に争いがない。しかし、右認定事実と、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、四・一七襲撃事件について責任者の処分に至らなかったのは、動労千葉側が動労本部側を告訴も告発もせず、被告や捜査当局等による事情聴取等にも応じないという姿勢に終始したことが主たる理由であったこと、千葉鉄局長の警告そのものは必ずしも動労千葉組合員のみを対象としたものとは解されないこと、四・一五事件の際、動労本部側が津田沼電車区に入区するについて、被告当局者が注意を与え、旗竿の持込み数を制限したりした事実があり、必ずしも全面的に放任したわけではないこと、被告職員による制止線が動労千葉側に向けて形成された点も、その時点においては動労千葉側がデモ行進を開始しようとの動きを見せていたのに対し、動労本部側は休会状態のままで格別の動きを見せていなかったからに外ならず、かつ、被告職員による事件の現認報告は、動労本部側の動静についても相当具体的になされており、必ずしも動労千葉側の行為のみを対象にしていたと断ずるには当たらないこと、現認報告書(<証拠略>)に日付の記載がないことは原告指摘のとおりであるが、これとても格別の他意があったわけではなく、報告書を書き直したという事実もないこと、動労千葉組合員のデモ隊列と被告職員の制止線との接触及び動労本部組合員との衝突が生じた直接の原因が原告主張のような動労本部側からの先制攻撃にあったとは認め難いこと、等の事実が認められるのである。そして、また、被告が独立間もない動労千葉との団体交渉を行わなかったのは、動労本部と動労千葉とが組合員の帰属等をめぐって争っていて使用者がこれに介入するような形となるのを避けようとしたこと及び団体交渉の相手方を被告本社とするか千葉鉄局とするかにつき被告と動労千葉の間で容易に意見の一致を見ず、この点を含む団体交渉に関する基本協約が昭和五四年九月にようやく締結されるに至ったこと等の事情によるものであり、かつ、それまでの間においても、被告と動労千葉の間では、労使関係について事実上の話合いが持たれ、様々の協定が結ばれていたことは、いずれも当裁判所に顕著である。

原告の不当労働行為の主張は、いずれも前提を欠き、ないしは事態を正解しないで被告を非難するものであり、採用することができない。

(二)  四・一五事件について、動労千葉側は、原告が懲戒免職処分を受けたほか、吉岡正明が停職一二月の処分を受けたのに対し、動労本部側は、責任者一名が停職一月の処分を受けたにすぎないことは、当事者間に争いがないが、原告に対する本件免職処分は前認定の五五年春季闘争における重大な指導責任もその理由に含んでいるほか、四・一五事件について吉岡正明及び原告に重い責任があることも前記認定説示のとおりであり、この点でも原告の主張は前提を異にする。

そのほか、原告は、他の暴力事件を引合いに、本件免職処分が重きにすぎる旨、種々主張するが、各事件は、その発生の時期、態様、被処分者の情状、処分歴、社会的影響等がそれぞれに異なっており、その外形上の比較から一概に不均衡であるとか、複数組合間の差別処遇であるとかと断定することは困難であり、もとより組合に対する支配介入に当たるとも容易に決めつけることはできない。五四年春季闘争についての処分凍結が動労千葉について解除され、中野書記長が解雇された点(この点は、当事者間に争いがない。)も、動労千葉が昭和五四年秋にジェット燃料貨車輸送阻止闘争のような、他組合に見られない争議行為を行ったこと等が主な理由となったものであることも、当裁判所に顕著であり、これによれば、右処分凍結解除が、あながち、動労千葉に対する不当な攻撃であるとすることもできない。

ひっきょう、後記認定の処分歴のある原告に対し、五五年春季闘争及び四・一五事件についての前認定の重大な責任を追及してなされた本件免職処分をもって、不当労働行為と目することは難かしい。

2  懲戒免職処分に当たり、非行事実の認定に誤りなきを期すべきであること及びその処分の選択につき特に慎重な配慮を要することは、いうまでもなく、当裁判所も、右各点に十分留意しつつ、原告に対して本件免職処分を選択した国鉄総裁の判断が、社会通念に照らして合理性を欠く等、裁量の範囲を超えてなされたかどうかを検討するものであるが、四・一五事件の事実関係は既述の如くで、動労千葉組合員のデモ隊列を被告職員の制止線に接触させたうえ動労本部組合員と衝突させるに至らせて乱闘騒ぎを惹起し職場秩序の著しい混乱を生じさせたことについては、原告に重大な責任があるのであって、右乱闘騒ぎの原因が動労本部側のみにある(原告には、たかだか過失責任があるにすぎない。)旨の原告の主張が採るをえないことは、既に説示したとおりであり、右事件が千葉鉄局長の前認定の警告の後に生じたもので、原告が右警告の存在を熟知していた点も重視されねばならない。このほか、前認定の五五年春季闘争についての原告の責任に加うるに、当事者間に争いのない原告の次の処分歴等、すなわち、(一)原告は、(1)昭和五一年一〇月二日、五〇年スト権奪還闘争を理由として、日鉄法三一条により、一か月間の一〇分の一減給、(2)同五二年一一月一日、五一年春季闘争を理由として、同法条により、一か月間の一〇分の一減給、(3)同五三年三月三一日、五二年春季闘争を理由として、同法条により、二か月間の一〇分の一減給、(4)同五四年二月一日、五三年春季闘争を理由として、同法条により、四か月間の一〇分の一減給の各処分を受けたほか、(二)原告は、(1)昭和五四年三月、同五三年秋季闘争に関し、三か月間の一〇分の一減給、(2)同五四年一二月、同年四月の春季闘争及び同年一〇月、一一月のジェット燃料貨車輸送阻止闘争に関し、停職二月の各処分に付される旨の事前通告を受けていたこと等を総合考慮するときは、本件免職処分が被告総裁の裁量権を逸脱してなされたものということはできないのであり、被告の再抗弁の主張は、いずれも失当である。

四  以上のとおりで、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 友納治夫 裁判官 増山宏 裁判官濱本光一は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 友納治夫)

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